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1.山口県周辺の縄文時代資料


山口県の縄文土器
平生町岩田ほか
 縄文時代ではムラの同族意識、あるいは宗教理念から、それぞれ特定の地域、年代ごとに同種類の土器が作られていました。これを土器型式(様式)と呼んでいます。現在、山口県域では約40種類の縄文土器型式が確認されています。各型式の判別は文様や形、焼き色、製作途上のクセや器種(深鉢や壺などの容器種類)のセット関係等を基準に決定されるもので、土器自身の特徴や遺跡の名称をもとに「轟(とどろき)B式土器」や「曽畑(そばた)系土器」(系は標式に準ずるという意味)などの名称が採られています。現在確認されている縄文土器型式を新旧の順に並べ直すことによって、相対的な年代を特定することができます。考古学ではこの方法を応用し、それぞれの土器型式を年代の「ものさし」として活用しているのです。以下では、山口市美濃ヶ浜(みのがはま)遺跡の縄文土器から順に、平生町岩田遺跡、下関市神田遺跡など、山口県を代表する当館の収蔵資料を一部ご紹介しましょう。
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轟B式土器(縄文土器)
山口市美濃ヶ浜
 九州地方を中心に西中国、山陰地方にまで分布する縄文前期はじめごろ(約6,000年前)の土器です。熊本県宇土市の轟(とどろき)貝塚を標式とし設定されました。深鉢形を原則とし、器面の内外はハイガイなどアルカ属系二枚貝によって条痕調整されています。外面の上半部には平行した細い粘土ひもを数条貼付けています。ほぼ同じころ、朝鮮半島に分布した新石器時代早期(隆起文系)の土器と特徴が類似しており、その影響関係の解明が今後の課題といえます。当館研究報告第31号(2005年)で詳細を報告しています。
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曽畑系土器(縄文土器)
山口市美濃ヶ浜
 九州地方を中心に朝鮮半島南海岸〜沖縄、西中国にまで分布した、縄文時代前期中ごろの土器型式。熊本県宇土市の曽畑(そばた)貝塚出土土器を標式とし、先述の轟式と同じ年、1935(昭和10)年に設定されました。器種は砲弾形の深鉢が主ですが、この時期の西日本では異例の壺形やボウル形浅鉢も少量みられます。外面に数条を単位とする鋸歯文(きょしもん)や羽状文(うじょうもん)、三角組合文、X字状文などが底部まで施されます。朝鮮半島では新石器時代中期以降に類似した特徴をもつ櫛(目)文系土器が盛行しており、曽畑系土器との関係が注目されます。山口県域で出土する曽畑系土器は細線粗雑化した例がほとんどで、終末期的特徴を示しています(当館研究報告31号参照)。
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阿高系土器(縄文土器)
山口市美濃ヶ浜
 阿高(あだか)系土器は、縄文時代中期後葉の九州地方を中心に分布する土器型式です。熊本県阿高貝塚を標式とします。厚手で赤褐色の砲弾形深鉢を主体とし、太凹線によって幾何学的な文様を描きます。縄文は伴いません。粘土の中に銀色の滑石(かっせき)粒が多く混ぜられているのも特徴の一つです。山口市美濃ヶ浜遺跡で出土した本例にも滑石粒が多く混ぜられていることから、九州西北部方面からもたらされた資料と推定することができます。
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巻貝押捺文土器(縄文土器)
山口市美濃ヶ浜
 縄文時代後期の土器。口の部分にヘナタリ属と呼ぶ小さな巻貝の腹部を回転させて小波状に仕上げています。周防灘沿岸(山口県、福岡県、大分県)に特徴的な土器です。
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刻目隆帯文系土器(縄文土器)
山口市美濃ヶ浜
 山口県では瀬戸内、九州いずれかの影響を受けた縄文土器がほとんどで、県下固有と呼べるタイプは珍しいのですが、ここ数年、下関市的場遺跡や、島根県益田市の広戸遺跡などで他地域にはない特徴をもった縄文土器が出土するようになりました。「刻目隆帯文系(きざみめりゅうたいもんけい)」土器A2類型などと呼称されているもので、口の近くに低い隆帯を貼付け、そこにヘナタリ属と推定される海産の小巻貝を使って刻目や刺突文をほどこしたシンプルな土器です。縄文は原則として伴いません。これまでの調査から周防、長門、石見地方に分布の中心をもち、隣接する福岡県、大分県、愛媛県にも類縁した土器の存在することがわかってきました。山口県の縄文文化を解明するうえで、今後の研究が期待される土器です。
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鐘崎系土器(縄文土器)
山口市美濃ヶ浜
 縄文時代中期末〜後期のはじめごろ(約4,000年前)に近畿、瀬戸内地方で発達した磨消縄文系(すりけしじょうもんけい)土器の九州地方への波及を起源とし、九州独自の系統として発達したものが「鐘崎系(かねざきけい)」土器です。縄文時代後期の中ごろ(約3,500年前)に相当しますが、時代や地域によって小池原上層(こいけばるじょうそう)式、鐘崎式、平城(ひらじょう)式などに細分されています。本例の場合、古相の小池原上層式に比較的近い特徴をもちますが、使われた粘土や文様の特徴から山口湾周辺で製作された可能性が強いと判断されます。山口県下では美濃ヶ浜遺跡出土の本例のほかに、現在16遺跡で鐘崎系土器の出土が確認されており、九州地方との交流の深さを物語っています(幸泉文子2008)。
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市来系土器(縄文土器)
山口市美濃ヶ浜
 市来(いちき)式土器は鹿児島県の市来貝塚出土土器を標式とします。縄文後期中ごろにおける南九州の土器型式です。深鉢が主で、台付鉢が少量伴います。口の部分に断面三角形や「く」の字形の鋭い粘土ひもを貼付け、そこに二枚貝の腹縁(外周のエッジ)や棒状工具によって斜位の刻目などをほどこします。市来式の影響を受けた土器は、南方は沖縄本島にまでおよぶことが知られていますが、2004年度における当館収蔵資料の整理作業により、山口市美濃ヶ浜(みのがはま)遺跡において新たに市来系土器の出土していることが確認されました(当館研究報告第32号参照)。山口県域ばかりでなく本州での市来系土器の確認は、はじめてのことです。分布圏の最北端を示す資料として、本資料(画像)は学問上重要です。
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晩期精製浅鉢(縄文土器)
山口市美濃ヶ浜
 縄文時代の後期に本格化する精粗製土器の分化(作り分け)は、西日本縄文文化の最大の画期として、注目されています。これは煮沸器である粗製(作りの粗い)深鉢(ふかばち)と、きめ細かな粘土を用い、薄手で、器面をていねいに磨く精製(ていねいな作り)の浅鉢(あさばち)、壺、注口(ちゅうこう)土器などのセット関係の確立を示しているからです。なかでも浅鉢は縄文時代後期の終わり〜縄文晩期の中ごろ(約3,000年前)に九州地方で極限にまで発達します。炭素吸着によって黒く仕上げた薄く精巧な土器は、特に黒色磨研(こくしょくまけん)土器と呼ばれていますが、後の弥生土器や土師器(はじき)以上に高度な技術をもっています。画像資料は九州黒色磨研土器の系譜を引く縄文時代晩期中ごろの浅鉢形土器です。文様や形などに退化傾向がうかがわれます。
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孔列文系土器(縄文土器)
山口市美濃ヶ浜
 口の内側に小さな円形の刺突を付す縄文時代晩期中ごろの土器を指します。朝鮮半島を起源とします。稲作文化導入の時期にあたることから、弥生時代成立の背景を探るうえで注目される資料です。本例は内面側から未貫通の円孔を付す事例で、日本海側の山陰方面に類例がみえます(当館研究報告第33号参照)。
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