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2.東日本の縄文時代資料


東日本の縄文遺物
千葉県江原台ほか
 当館は1912(明治45)年の防長教育博物館発足以来100年の歴史がありますが、なかでも戦前に収集した考古資料には、貴重な例が多く含まれています。ここに紹介する東日本の縄文資料は大正14年以降に当館が購入、あるいは寄贈を受けたもので、遺跡総数45件、点数にして500点以上を数えます。なかには学術的にみて価値の高い石棒(せきぼう)や土偶(どぐう)など、今日の山口県にとっては得難い資料が多く含まれています。一般民衆の考古資料に対する保護意識がまだまだ低かった当時として、積極的な収集活動を続けてきた当館の誇るべき縄文コレクションといえるでしょう。ここでは縄文土器をはじめとする館蔵の東日本縄文遺物の一部をご覧下さい。
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茅山下層式土器(縄文土器)
千葉県飛ノ台
 縄文時代早期後葉の関東地方を中心として、東海、近畿地方にまで分布する貝殻条痕文系土器をいいます。神奈川県三浦市の茅山貝塚出土土器を標式とします。器種は平底の深鉢形のみです。口から胴上半部にかけて数条の段をもつ場合が多く、器表面は二枚貝条痕によって仕上げられます。文様は渦文、円形文、流水文、弧線文、格子文、刺突文など多様です。また粘土の中に植物性繊維を混ぜて焼いているのも特徴の一つです。中国山地中央部に位置する広島県帝釈観音堂洞窟遺跡では、広島大学の調査で茅山下層式に近似した土器が出土し、注目を集めました。縄文時代早期後葉の中国地方を考えるうえで茅山下層式の比較検討は重要な課題といえます。
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黒浜式土器(縄文土器)
神奈川県矢上谷戸
 縄文時代前期中ごろの関東地方に分布した土器型式で、羽状縄文系土器様式のなかでは最も新しい段階に位置付けられています。埼玉県蓮田市黒浜周辺の貝塚出土資料を標式とします。器種は平底の深鉢形(画像資料)が大部分です。粘土中には繊維を含む例が多いとされますが、つづく諸磯式に向けて次第に無繊維化します。文様は羽状や斜行縄文などを地文とし、沈線文、竹管文、隆帯文、爪形文などがみられます。
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勝坂式土器(縄文土器)
東京都梶野
 西関東〜中部地方を中心に分布した縄文時代中期中ごろの土器型式です。神奈川県勝坂遺跡出土土器を標式とします。器種が豊富で、深鉢(画像資料)のほかに浅鉢、台付鉢、有孔鍔付土器、釣手土器などがみられます。文様は縄文の使用が低調で、太めの隆帯を多用しつつ主に沈線や結節沈線などで構成されます。粘土隆帯による人体や蛇体、獣類の表現も、この勝坂式土器に多くみられます。深鉢は概して大型のものが多く、器壁が厚いのも特徴の一つです。東関東の阿玉台(あたまだい)式土器とは併行関係にあり、中期後半には関東で加曽利E式、中部地方では曽利式へと移行します。
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加曽利E式土器(縄文土器)
東京都下目黒
 縄文時代中期後半の関東地方を中心に分布した土器型式。千葉県加曽利貝塚E地点出土土器を標式とします。口が大きく内弯する、いわゆる「キャリパー状口縁」を呈する深鉢形が主体で、浅鉢、有孔鍔付土器、器台、壺、注口付深鉢が少量伴います。加曽利E式は現在、E1〜E4式まで新旧の細分が成されています。本資料は口の部分に多重の渦巻文が連続して描かれる例で、加曽利E2式に相当する可能性が考えられます。
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加曽利E式土器(縄文土器)
千葉県粟島台
 関東地方を中心に分布した縄文時代中期の煮沸用土器で、加曽利E式土器と呼んでいます。器面に描かれた磨消縄文(すりけしじょうもん)という意匠は、のち西日本の縄文土器にも影響を与えました。
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堀之内式土器(縄文土器)
千葉県堀之内貝塚
 縄文時代後期前(中)葉の関東地方を中心に、中部、東北南部、東海、近畿地方まで分布します。千葉県市川市の堀之内貝塚出土土器を標式とします。器種は深鉢、鉢、浅鉢、注口土器から成ります。画像資料は口が反る朝顔形の土器で、堀之内2式に相当します。文様としては8字状貼付文、三角形区画文、連弧文などがうかがえます。また右下の平底底部には外面に網代の圧痕がみえます。堀之内式土器については、西日本の縁帯文土器とも一部類縁性が認められることから、その影響や年代関係の解明が急がれています。
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安行式土器(縄文土器)
千葉県江原台
 縄文時代後期後葉〜晩期中葉にかけて、関東地方を中心に分布した土器型式です。埼玉県川口市の安行領家猿貝貝塚を基準としますが、大正13年当時の標式資料は現在不明とされています。画像資料は縄文後期の終わり頃(約3,000年前)に相当する安行1式土器です。左資料は微隆帯上に縄文を転がした、装飾性に富む帯縄文系土器、右資料は口の部分に粘土ひもを併行して付けた紐縄文(ひもじょうもん)系の粗製土器です。
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大洞C2式土器(縄文土器)
岩手県陸前高田市獺沢貝塚
 大洞式土器は昭和12年、故山内清男氏が岩手県大洞貝塚などの調査成果をもとに、従来の亀ヶ岡式土器を整理改称したもので、B、BC、C1、C2、A、A’式の6型式に細分されます。画像資料は浅鉢、ないし台付浅鉢の一部で、胴部にはLR縄文地に「工字文」が描かれています。2009年度における岩手県立博物館八木勝枝氏との共同研究によって、本資料が大洞C2式に相当することが明らかとなりました(当館研究報告第36号参照)。大洞系土器は東海、近畿地方はもとより、近年では九州、中国、四国地方でも出土が目立っています。日本列島を介した東西交流の在り方が注目されます。
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扁平打製石鍬
東京都小金井市梶野
 関東地方では縄文時代の中頃に扁平打製石鍬が多量に出土します。製作方法や刃部の使用痕跡から、木材の伐採や加工具とは考えられないため、一般に土掘具であると理解されています。かつては縄文時代中期農耕論の有力な根拠の一つとされていました。
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