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考古考古 |1.山口県周辺の縄文時代資料 |2.東日本の縄文時代資料
|3.山口県周辺の弥生時代資料 |4.山口県周辺の古墳時代資料
|5.山口県周辺の古代寺院跡出土資料 |6.山口県周辺出土の銭貨
|7.石器石材参考資料 |8.考古複製・模造資料

3.山口県周辺の弥生時代資料


弥生土器
美祢市中村
 弥生時代前期の山口県では、西部域を中心に特異な文様の施された壺が盛んに製作されています。放射肋(タテスジ)をもつタマキガイなどの二枚貝で、羽状文や山形文、重弧文、鋸歯文、格子文、木葉文などの文様が壺の肩部分に描かれています。遺跡は厚東川の上流、山口県中央部の標高約86mを測る微高地上に位置しています。
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弥生土器
山口市大内御堀
 弥生土器とは1884年、東京都本郷弥生町の向ヶ岡貝塚で出土した新種の土器に因んで名付けられました。西日本では縄文時代後期以降文様の希薄化が進み、雑器としての機能性と日常性を重視した無文の土器が次第に主流を占めるようになります。
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弥生土器
山口市亀山
 弥生時代前期の壺形土器です。文様は施されていません。土器の出土した亀山は当博物館の南西に隣接する標高約68m、比高差約30mの孤立丘陵で、1952(昭和27)年の遺跡発見以後、山麓西半部を中心に弥生時代中期の遺物や遺構が発見されました。
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弥生土器
山口市荻峠(おぎだお)
 山口盆地中央北縁の鴻ノ峰から西に派生した支脈の末端孤立丘陵周辺を占地した弥生時代中期を主体とする集落です。1926(大正15)年ごろから遺跡の存在が知られていました。1951(昭和26)年に改めて弥生土器の出土が確認されていますが、採石工事のため遺跡周辺の地形は以後大きく改変されてしまいました。1974(昭和49)年の県教育委員会による発掘調査では、弥生時代中期のドングリ貯蔵穴1基以上のほか、古墳時代前期の土坑5基などが検出されました。弥生時代のドングリ貯蔵穴発見は、山口県では貴重な成果です。出土したドングリを鑑定した結果、イチイガシが主体で、アラカシが若干含まれるという構成でした。またドングリの集積層を覆う木の葉の遺存層(第5層)では、アラカシ、シラカシのほか、モミ、フジの枝葉が含まれることも報告されています。
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弥生時代終末期の土器群
宇部市大須賀墳墓群
 大須賀遺跡は山口湾を望む海岸沿いの砂丘帯上に立地しています。1953(昭和28)年に発掘調査が実施されましたが、本資料群はこの際、箱式石棺などで構成される墓域から発見されたものです。壺、鉢、高杯などで構成され、弥生時代終末〜古墳時代初頭の特徴をよくあらわしています。
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複合口縁壺
宇部市大須賀墳墓群
 複合口縁壺とは周防、長門の弥生時代後期〜古墳時代初期を特徴付ける土器の1つで、広義では周防東部を中心とする「吹越(ふきこし)式」土器に含まれますが、口縁が無文であり、さらに頸胴部境には粘土紐による装飾(突帯)をもたないなど、長門方面(日本海側)の影響を加味する必要があります。
 本資料は古墳時代初頭に向けた過渡期段階の土器です。二段に成形された口縁の端部は外反、胴部は球胴化し、底部が丸底化に向かうなど、古墳時代的な新要素を多く備えています。胴部下半に円孔が穿たれていることから、幼児用壺棺の可能性がもたれます。
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叩石
山口市亀山
 自然に産出する手の平サイズの砂岩円礫を素材としています。木実などの食物を粉砕するための道具で、一部につぶれ痕が残されています。なお遺跡は山口博物館の南西に位置し、1952(昭和27)年の遺跡発見以後、山麓西半部を中心に弥生時代中期の遺物や遺構が発見されました。
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磨製石斧
山口市亀山
 伐採等を目的とする弥生時代の磨製石斧で、太形蛤刃石斧と呼んでいます。なお亀山は当博物館の南西に隣接する標高約68m、比高差約30mの孤立丘陵で、1952(昭和27)年の遺跡発見以後、山麓西半部を中心に弥生時代中期の遺物や遺構が発見されました。
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磨製石斧
山口市亀山
 同じく弥生時代の太形蛤刃石斧です。遺跡は山口博物館の南西に位置し、山麓西半部を中心に弥生時代中期の遺物や遺構が発見されています。遺構には袋状土坑、濠状遺構があり、防御機能を装備した高地性集落の可能性も考えられています。
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磨製石斧
山口市後河原
 弥生時代の太形蛤刃石斧に分類される伐採用の斧です。遺跡は別称、松柄遺跡ともいいます。現在の県立山口図書館付近に位置しています。
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